2012年6月20日水曜日

自ら立ち上がらんとする被災地の民


世界のエリート集団が東北の「被災地」に現れた。

彼らエリートたちが属するのは、ハーバード大学の大学院「ケネディ・スクール」。世界各国の首脳やリーダーなどを幾多と輩出してきた世界のリーダー養成機関である。

※創設から400年近くがたつハーバード大学は、オバマ大統領はじめアメリカで8人の大統領、そして75人のノーベル賞受賞者を出している。




ちなみに彼らは大学院生とは言えど、すでに社会に出て各国政府で働いたり国際組織で働いていたりと、10年以上の職歴を持つ者も少なくない。

ある者はホワイトハウスで働いていたり、ある者は国境なき医師団の責任者であったり…。



世界の目を持つ彼らは「被災地」で何を見たのか?

日本の政府要人たちとも面会した彼らは、日本政府の対応をどう評価したのか?





彼らが特に注目していたのは「リーダーシップ」。

未曾有の国難にあって、日本という国家がいかなるリーダーシップを発揮しているのかが最も知りたいことであった。

彼らがそれぞれの国に戻った時、国を揺るがすほどの国難に対処しなければならないこともあるのだから。



東北の被災地を初めて目にした彼らは言葉を失う。

「こんな状況とは思ってもいなかった…」

すでに震災から1年以上も経過しているというのに、大津波に洗われた海岸線には何もないではないか。

「復興の現場は戦後の日本のように活気づいているのだと思っていました。でも、ここは恐ろしく静かです。」

瓦礫ばかりが残るその荒野では、建設作業もほとんど見られない。




彼らが目にしたのは陸前高田市。

10mをゆうに越えた大津波は市庁舎の4階にまで押し寄せ、市街地では3人に一人が犠牲になったと言われる(計1800人近い犠牲者)。

※大津波の運んできた大量の瓦礫は推計100万トンとも言われ、その処分にはあと2年以上もかかるのだという。



地元企業の半数以上が社屋を失い、地場産業は壊滅状態。自動車学校のオーナーをしていたという田村満さんもその一人である。

世界のエリート集団の一人が田村さんにこう質問する。「日本政府や海外からの支援についてどう思われますか?」

それに答える田村さん、「世界の人たちはとにかく早かった。それに対して、日本政府は嫌になるほど遅い。」



経営者でもあった田村さんが重視していたのは「どうやって雇用を守り、それを作っていくか」であった。

失業保険は12ヶ月で終わってしまう。それ以後どうしたらよいのか。「人間は仕事をしていない時が一番ツラいのだ」。

しかし、田村さんの目から見れば、日本政府には被災企業の雇用を守るという視点が欠如しているように思えてならない。



「人々に希望を持たせ、夢を与えなければ復興はままならない」と田村さんは考える。

「そのために何をするのか。それこそがリーダーシップというものではないのか」。国境なき医師団の現場で働き続けたエスペンさんはそう感じたという。



ホワイトハウスで働いているパトリックさんは、こう語る。

「田村さんの怒りに返す言葉はありません。公務員はデータばかりを頼りに計画を立てるのではなく、まずは現場の人々の話をよく聞かなければなりません。」

パトリックさん自身も政府に携わっているだけに、現場の悲痛な叫びは身に痛いのだ。




世界のエリートたちが陸前高田市に見たのは、「大きな失望感」であった。

立ち上がるために必要な夢と希望はどこへ行ったのか?

「日本政府の遅さ」が失望を大きくしているのだろうか?



陸前高田市の副市長「久保田崇」さんは、こう語る。

「国会が復興予算を承認したのは震災の8ヶ月後でした。対応の遅さもさることながら、資金の『用途が限られている』のも問題です。」

※久保田さんはイギリスのケンブリッジ大学でMBAを取得して内閣府で働いていた人物だが、震災後に陸前高田市の市長に請われて副市長に就任することになった。

久保田さんは続ける。「すべての人が仮設住宅を出られるまでには、あと5年以上はかかるでしょう。」



アメリカ政府で働くパトリックさんは、最初「被災者の要求が高過ぎる」と考えていたという。なぜなら、彼自身「政府にできることに限界がある」ことはよく承知しているからである。

しかし、現場の声を聞いたパトリックさんは考えが大きく変わった。

「実際に被災地で話を聞くうちに、彼らの失望はもっともだと思いました。状況はそれほどに酷かったのです。」

パトリックさんが最もショックを受けたのは、被災地の人々が「政府は頼りにならない」として、「自分たちで立ち上がろうとしていた」ことだったという。




被災者たちの失望をみた世界のエリートたちは、次の訪問地で思わぬ希望を見ることになる。

その地は獺沢(うそさわ)漁港。



この地の住民の多くは「カキの養殖」で生計をたてていたものの、養殖用のイカダは大津波ですべて流されてしまっていた。

すべてを流された獺沢漁港では、カキの養殖を一から始めなければならない。そうなると、収入になるまで最低でも「3年」はかかる。

収入がないという状態が3年も続くのだ。しかも、収入がないばかりではない。設備を再建するために借金を重ねなければならない。

それゆえ、震災前は30人いたという仲間のうち、現在この地に残っているのは3分の1程度に過ぎない。



その残った一人が「佐々木眞」さんであった。

彼は震災で失った800台のイカダのうち、今年中に600台を作り上げようと毎日汗を流し続けている。

イカダを作れば作るほど借金はかさむ。それでも佐々木さんはイカダを作る手を止めようとはしない。




のちに世界のエリートたちが「最も感銘を受けた」と語るのは、この佐々木さんの姿であった。

「3年間も収入が途絶えてなお、地場産業を守り続けようとするなんて…」

「佐々木さんは私が抱いていた被災者のイメージとは違って、驚くほどユーモアがあり前向きでした。壊滅的被害に遭ったことを感じさせない明るい表情で仲間をまとめていました。」



佐々木さんは決して一人ではない。イカダを作るための費用は、民間の有志たちが負担してくれる。そのお返しは3年後のカキである。

強い印象を受けた世界のエリートたちも佐々木さんを応援する。

「ハーバードにも是非オイスター(カキ)を」




世界のエリートたちの心を大きく揺さぶったのは、こうした「民間の力強さ」であった。

ケニアやパキスタンなどの紛争や災害で緊急支援に当たってきたエスペンさんにとって、東北の人々の力強さは「思いもよらないもの」であったという。

なせなら、彼が今まで支援してきた人々は「水や食べ物を求め、なす術もなく助けを待つ人々」ばかりであったからである。



ところが、東北の人々は「自ら立ち上がろうとしている」。たとえ日本政府の支援が遅く不十分だとしても。

「これこそがリーダーシップと呼ぶべきものではあるまいか?」




今回、ハーバードのエリートたちを日本に連れてきた仕掛人は、同じくハーバード・ケネディ・スクールに通う日本人「吉野次郎」さんである。

吉野さんにはある懸念があった。それは世界における「日本の存在の小ささ」である。

ジャパン・アズ・ナンバーワンとして世界にチヤホヤされた時代は過去の話。今の日本が世界の話題に上ることは少なくなり、それがあったとしてもそれはたいてい「失敗例」としてばかりである。

日本をそれなりに評価してくれる外国人仲間は吉野さんにこう言う。「日本って、もっと世界にアピールした方がいいよね」と。



世界は日本を知らない。

知っていることといえば、表面的な日本政府の言動くらいのものであり、それは決して感心できるものではないのだろう。



ところが、大震災という大激震によって、日本に閉塞感を与えていた表面の堅い殻にヒビが入った。

そして、そのヒビから顔を出したのは…?

獺沢漁港の佐々木さんのような「民間の力強さ」であった。そして、それは世界のエリートたちをも刮目させるものでもあったのだ。



視察を終えた世界のエリートたちは、こう語る。

「今回、私は日本政府の対応よりも地域の回復力に多くのことを教えられました。」

「民間の人々が自ら変革を起こそうとしていることに感銘を受けました。」

「私が考えるリーダーとは政治家や役人のことではなく、まさに彼(佐々木さん)のような人のことなのです。」



彼らは日本の民間力を褒め称える一方で、さまざまな疑問をも抱いたようだ。

「震災の後、日本人は将来を必要以上に悲観しているように思いました。日本はとても良い国で未来も明るいはずなのに、それが私には不思議でした。」

そう語るのは「クロアチア」から来たマリオ・スクンカさん。バルカン半島に位置する彼の祖国は「ユーゴスラビア」の崩壊によって成立した国家であり、その過程では血縁同士の悲惨な紛争を経験している。



また、途上国である「チリ」のアレハンドラ・カンディアさんは、こんな興味深いことを言っている。

「日本はチリよりもずっと豊かな国なので、もっと政府の支援があるのだと思っていました。

ところが、私たちの国と同様に自分のことは自分で解決しないといけないということが本当に印象的でした(2010年、チリでもマグニチュード8.8の大地震があった)。

チリ政府は『もっとお金さえあれば何とかできる』と言っていますが、日本の例を知って、そうではないということが良く分かりました。

復興に何が必要なのか?

その答えはお金ではないのでしょう。」



先進国アメリカのパトリックさんも日本政府を「他山の石」としたようだ。

「地位が高くなると『組織』のことばかり考えがちになります。でも私は公務員が誰のために働くべきなのかを絶対に忘れません。」



最後に、シンガポール政府で働くアルヴィン・ウーさんから一言。

「陸前高田市の若者たちは、私たちが訪れたこと自体が『希望』だと言ってくれました。

どうして、彼らはそんなことを言うのか?

彼らは世界から忘れられたような孤立感を感じていたのかもしれません。

しかしそれは違います。世界は東北に注目しているのです。このことを彼らに伝え、希望を分かち合うことこそが私の役割ではないかと感じました。」




今の日本には失望もあるが希望もある。

大震災はそうした失望と希望を東北の地に浮き彫りにしたわけだが、そのことによって今まで分かりにくかった日本という姿が世界の理解を得ることにもつながったとも言える。



陸前高田市の田村さん曰く、
「カタツムリのような遅々たる歩みでも着々と前進したい」

クロアチアのマリオさんも言うように、
「日本はとても良い国で未来も明るいはず」である。




日本人の底力 
東日本大震災1年の全記録




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出典:BS1スペシャル ハーバード 若き知性が見た被災地

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