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2012年9月4日火曜日

「非武の島」、沖縄。グアムとの数奇な共通点。


およそ200年前、アジアの国々を巡っていたイギリス艦長は、初めて沖縄(当時・琉球)の人々を目にして驚いたという。

「武器を持っていない…」



その驚きをナポレオンに伝えると、戦闘に明け暮れていたナポレオンはもっと驚いた。

「武器なくして彼らはどうやって戦うのだ?」

ナポレオンの抱いた当然の問いに対して、艦長はこう答えた。「彼らは戦争をしたことがないのだそうです。武器を持たずに、平和を保っているのです」

「なにーっ! 戦争がないだとーーーっ!」。ナポレオンは叫んだ。「この世に戦争を知らない人々がいるなどありえない!」と言わんばかりに。


2012年7月27日金曜日

あえて低く建てられた「首里城」の意味するもの


「戦いの気配が感じられない城」

沖縄の「首里(しゅり)城」は、そう呼ばれている。

なぜなら、この城には戦闘を象徴する「天守閣」が存在しないからである。天守にあたる朱塗りの「正殿」は、2層3階という低い建物になっている。




◎外交により守られていた琉球王国


15世紀の沖縄に王国を打ち立てた「尚氏(しょうし)」は、「武力」ではなく「外交」で国を守ってきたのだという。

中心たる正殿の左手(北側)には、「中国」からの使節を迎える中国風の建築(北殿)があり、右手(南側)には「日本」から来る薩摩の役人が滞在する建物(南殿)がある。



もともとは中国(明)に貢物を納め保護を受けていた琉球王国(沖縄)であったが、日本に江戸幕府が成立して以降は薩摩藩の侵攻を受け(1609)、中国と日本の二重支配下に置かれることになる。

その両大国の狭間にあって、琉球王国は巧みな外交戦略により独自の地位を確立し、人口が17万人にも満たなかったという小さな王国でありながらも、400年以上にわたる繁栄を謳歌することになる(1429~1879)。

戦う意思を示さない首里城の正殿。それは、巧みな外交姿勢を如実に表現していたのである。低姿勢でありながらも、その内部は威厳に満ちている。朱塗りの王座はじつに壮麗であり、琉球王家の揺るぎなさを物語っている。


2012年6月29日金曜日

使うほどに燃料が増えるという「夢の燃料」プルトニウム


そこには、「プルトニウムの缶詰」というものが置いてあった。

「プルトニウム」というのは断じて食品ではない。毒も毒、半減期2万4000年という化け物のような放射性物質である(原子番号94は、"苦しんで死ぬ"と覚えるのだとか)。

「その缶詰は、ポカポカと温かかった」と伊原義徳さん(88)は語る。プルトニウムが崩壊していく過程で発せられる「崩壊熱」で温かかったのだ。



彼がその缶詰に触れた場所は「アメリカ」。それは、伊原さんが「原子力」の技術を学ぶためにアメリカのアルゴンヌ国立研究所に留学していた時のことであった。当時、世界随一の原子力技術を誇っていたアメリカ。それだけに、猛毒・プルトニウムの扱いもお手の物であったのである。小さな缶に閉じ込めてしまうほどに。

アメリカの原子力に対する知識や技術に感銘を受けた伊原さんは、「あぁ、日本でも早くこんな缶詰が作れたらなぁ」と切に願ったという。



2012年6月6日水曜日

民間人が狙われた本土への大空襲


時は第二次世界大戦、最末期。それは終戦の年(1945)である。

日本軍には勝ち目がないどころか、戦闘余力も怪しくなりつつある中、アメリカ軍ばかりが元気一杯で、日本本土に対する「空襲」を盛んに繰り返していた。

日本国内の主要都市は言わずもがな、地方都市でさえ、空爆を受けなかった都市を数える方が早いほどに、ありとあらゆる都市に焼夷弾の雨が降り注いでいた。