2012年9月8日土曜日
「空飛ぶ絨毯」の夢。「ものづくり」が生み出すものとは…。
「もし、『空飛ぶ絨毯(じゅうたん)』があれば…、もっともっと多くの命を助けられたのに…」
空飛ぶ絨毯? 何かの冗談か、もしくは聞き間違いか? いや、そのどちらでもない。「空飛ぶ絨毯」と言った久保田憲司氏は「大真面目」だ。本気になって、空飛ぶ絨毯をつくろうとしているのだ。3.11の大震災の時、本気でそう思ったのだ。
天下未曾有の大災害の中、多くの人々が瓦礫の下敷きになっていた。その苦しむ人々を助けようと、懸命に探索するヘリコプター。しかし悲しいかな、ヘリコプターでは近くまで行くことができない。
「あぁ、こんな時に、地面から1~2mの高さをスーッと飛んで、どこにでも垂直に離着陸できる乗り物があれば…」
その乗り物こそが、久保田氏の言う「空飛ぶ絨毯」である。
2012年9月6日木曜日
争い、そして和する。「角館」に残された古き日本の絶妙な間合い。
夜の祭はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。
若者たちの表情に緊張が走ったのは、通りの向こうに「隣町の曳山(ひきやま)」の姿を確認した時だった。
ここは秋田県・角館(かくのだて)。江戸の昔に栄えた城下町であった角館には、今の世にも古くからの武家屋敷などが数多く残る。そうした武家の気風が残るのか、この祭りのクライマックスは少々荒々しい。
2012年8月4日土曜日
日本の風土が育てた日本の子育て
とある山中、その夜の空は満点の星に輝いていた。
ところが、都会育ちのある子供は、その星空を見てこう言った。「空にジンマシンができたみたいで気持ち悪い」。
ある意味、その子の言葉は独特の感性をもっている。しかし、どうやらその感性は伝統的な日本のそれとはどこか異なっているようだ。
古来の日本人は、夜に鳴くスズムシの音(ね)に「美」を見い出した。それに対して、アメリカ人はその音を「うるさい」としか思わない。
生まれも育ちも異なれば、それは「感性の違い」となって現れる。その違いに良し悪しはないのかもしれない。しかしそれでも、日本的な感性が変化していくことに対しては、一抹の寂しさを感ぜざるを得ない。
2012年7月24日火曜日
賢人たちの道標となってきた「六然」の教え。
ホテル・オークラの隣にある「大倉集古館」には、勝海舟の書と伝わる「六然訓(りくぜんくん)」という掛軸がある。
「自処超然 処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然」
こうした掛軸などがあることで、「六然訓」は勝海舟の言葉とされることも多々あるが、正確に言うならば、この言葉は「明(中国)の崔銑(さいせん)」 という人物によるものである。
◎崔銑 (さいせん) という人物
硬骨漢として知られる彼は、平たく言えば「毒舌家」であり、その舌が災いして牢屋にブチこまれてしまう。というのも、崔銑が時の権力者・劉瑾(りゅうきん)に恐れもなく歯向かい、痛烈に批判したからであった。
時の権力者・劉瑾というのは、「専横いたらざるなし」と言われたほど情け容赦のない宦官であり、当時の人々からはたいそう顰蹙を買っていたのだという。その横暴に対して、心ある有志たちは度々の弾劾を試みるのであるが、その度に皆投獄されていったのである。
投獄されたとはいえ、崔銑に正義があるのは明らか。のちに陽明学の祖ともなる「王陽明」は、崔銑の投獄に大きく異を唱えた。
「諌官(かんかん)の地位にある者を捕らえるとはもってのほか!」
諌官(かんかん)というのは、政治や法律を定める時に、為政者に「忠言」を捧げる役職である。しかしながら、その諌官が暴君に対して忠告すると、決まって殺されるのも常であった(煮られるか、炙られるか、裂かれるか、斬られるか、獄されるか、毒を送られるか)。
それゆえ、死を覚悟して言葉を発する諌官には気骨のある者が少なくなかった。そして、その一人が崔銑 (さいせん)であったのだ。
登録:
投稿 (Atom)