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2012年9月3日月曜日

猛将・平将門を射抜いた神鏑(しんてき)とは? 人の心を惑わす「春の風」。


「春の風」が歴史を変えるなどということは、あり得るのであろうか。

一時、絶大な武力を誇った「平将門(たいらのまさかど)」は、いずくからともなく飛んできた「一本の矢」に倒れた。

その矢が乗ってきた風こそが、春の風だと言うのだが…。




将門のコメカミを射ぬいたという矢は、「将門記」によれば「神鏑(しんてき)」と表現されている。

将門は「目に見えない神鏑(しんてき)」に当たり、「地に滅んだ」とされ、それは「天罰」だとも書かれている。

天が起こした一陣の風、それは春の訪れを告げるという「春一番」ではなかったのか、ということだ。その風が吹くや、「馬は風飛のような歩みを忘れ、人は李老のような戦術を失ってしまった」のである。


2012年9月1日土曜日

最期に笑顔を…。悲しい過去にぬくもりを与える「おもかげ復元師」


笹原留似子さん

彼女は特殊な技能をもった女性。その技術とは、故人の痛んだ遺体を、丁寧に復元する技術。彼女は日本でも数少ない「復元納棺師」である。

傷だらけの顔をきれいに洗い、傷口や陥没した部分を脱脂綿で塞ぎ、さらに、特殊なファンデーションなどを使って、生前の姿に復元してゆく…。



◎会わせてあげたい…


その日、笹原さんが訪れていたのは、妻を亡くした飛田啓章さん(36)のお宅。妻・佳子(けいこ)さんは、東日本大震災の大津波により、帰らぬ人となっていた…。

佳子さんが大津波に遭ってしまったのは、幼い子供たちを心配して迎えに行ったその途上。車ごと大波にされわれてしまったのだという…。それでも不幸中の幸いは、子供たちが皆無事だったということ…。

そして、遺体が見つかったのは、その一ヶ月後。ようやく見つかった佳子さんは、車の中で変わり果てた姿となってしまっていた…。



「最期に、子供たちを母親に会わせてあげたい」

夫の啓章さんは、そう強く想ったものの、被災してしまった姿では、とても子供たちに会わせられない。そんな時であった、啓章さんが復元納棺師・笹原さんの存在を知ったのは。


2012年8月26日日曜日

同じ原発を持つスイスと日本。日本の原子炉爆発をスイスはどう見たか?


フクシマの原発事故は、世界への「問い」となった。

「原子力発電は、是か?非か?」



あれから一年。当初は「感情的」であった反原発の気運は、世界中でスッカリ落ち着きを見せている。

フクシマ原発事故が起きる「前」、世界で建設中の原発は62基(計画中156基)。そして、事故から一年経った現在、世界で建設中の原発は60基(計画中163基)。

フクシマ前後で、その大勢に大きな変化がないことは明らかである。


2012年6月29日金曜日

使うほどに燃料が増えるという「夢の燃料」プルトニウム


そこには、「プルトニウムの缶詰」というものが置いてあった。

「プルトニウム」というのは断じて食品ではない。毒も毒、半減期2万4000年という化け物のような放射性物質である(原子番号94は、"苦しんで死ぬ"と覚えるのだとか)。

「その缶詰は、ポカポカと温かかった」と伊原義徳さん(88)は語る。プルトニウムが崩壊していく過程で発せられる「崩壊熱」で温かかったのだ。



彼がその缶詰に触れた場所は「アメリカ」。それは、伊原さんが「原子力」の技術を学ぶためにアメリカのアルゴンヌ国立研究所に留学していた時のことであった。当時、世界随一の原子力技術を誇っていたアメリカ。それだけに、猛毒・プルトニウムの扱いもお手の物であったのである。小さな缶に閉じ込めてしまうほどに。

アメリカの原子力に対する知識や技術に感銘を受けた伊原さんは、「あぁ、日本でも早くこんな缶詰が作れたらなぁ」と切に願ったという。



2012年6月20日水曜日

自ら立ち上がらんとする被災地の民


世界のエリート集団が東北の「被災地」に現れた。

彼らエリートたちが属するのは、ハーバード大学の大学院「ケネディ・スクール」。世界各国の首脳やリーダーなどを幾多と輩出してきた世界のリーダー養成機関である。

※創設から400年近くがたつハーバード大学は、オバマ大統領はじめアメリカで8人の大統領、そして75人のノーベル賞受賞者を出している。




ちなみに彼らは大学院生とは言えど、すでに社会に出て各国政府で働いたり国際組織で働いていたりと、10年以上の職歴を持つ者も少なくない。

ある者はホワイトハウスで働いていたり、ある者は国境なき医師団の責任者であったり…。



世界の目を持つ彼らは「被災地」で何を見たのか?

日本の政府要人たちとも面会した彼らは、日本政府の対応をどう評価したのか?


風評は「情報の一つ」。星野佳路氏


東日本大震災(2011)の被災地となった東北地方。

それ以来、「風評被害」という言葉が東北のアチラコチラから絶えず漏れ聞こえてくる。



風評被害という言葉には、「どうしようもない」「しょうがない」といった諦観が漂っている。

それもそのはず。今季の東北のスキー場などでは「集客が半減した」というところも珍しくなく、場所によっては8割減などという信じ難い数字までがあるようだ。

そんな恐ろしい数字を見てしまえば、「風評被害のせいだ」と責任追求したくもなるだろう。



それでも、「星野佳路」氏は10年後の東北を見据えている。

「(震災が起こる前の)2010年の東北よりも、2020年には遥かに強い東北をつくる」

星野氏はリゾート開発の達人であり、今までに幾多となく廃れた観光地に新しい息吹を送り込んできた。



2012年6月15日金曜日

ウンコをしたら、ウンコを流そう。たった一つのルール。


「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これが「奇跡の避難所」とのちに呼ばれる明友館(宮城・石巻)の「たったーつのルール」だった。



「流す」といっても、簡単なことではない。

ボタン一つを押せば流れるわけではなく、「外から排水溝の上澄みをすくってきて流すしかない」。

なにせ、ここは大震災直後の被災地である。



狭い場所にギュウギュウに詰め込まれた避難所にあって、「細々しい決め事」が多ければ、逆にトラブルの元ともなりかねない。

それなら、「ウンコをしたら、ウンコを流そう」。

この最低限のルールだけ、守ってもらおうじゃないか、となったのだ。