2012年6月15日金曜日

ウンコをしたら、ウンコを流そう。たった一つのルール。


「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これが「奇跡の避難所」とのちに呼ばれる明友館(宮城・石巻)の「たったーつのルール」だった。



「流す」といっても、簡単なことではない。

ボタン一つを押せば流れるわけではなく、「外から排水溝の上澄みをすくってきて流すしかない」。

なにせ、ここは大震災直後の被災地である。



狭い場所にギュウギュウに詰め込まれた避難所にあって、「細々しい決め事」が多ければ、逆にトラブルの元ともなりかねない。

それなら、「ウンコをしたら、ウンコを流そう」。

この最低限のルールだけ、守ってもらおうじゃないか、となったのだ。





狭い空間で「いびき」がうるさい奴がいても、諦めるしかない。

それなら、「笑って」諦めよう。

「おぉ、いびき横綱じゃん! うちの部屋にもいるよ、横綱。今晩、横綱同士で隣に並べて、いびき対決やらせっか?」



この明友館でリーダーシップを取っていた人物が、「千葉恵弘(やすひろ)」氏。

その軌跡は「笑う、避難所(集英社)」に詳しい。



彼は日本中、世界中を渡り歩いていたというが、なぜか、たまたま3.11の大震災の時には、地元(宮城・石巻)に帰っていた。

「まるで被災しに帰って来たようなものだった」

彼は「宿命」という言葉を使った。「逃げられないものだったんです」



「僕自身は、起きてしまったことを後悔したりとか、根拠もないポジティブな妄想を抱いたりっていう感覚は持っていないんです。

津波はなかったことにできないし…。

津波で妹を亡くしたけれど、大事なのは今生きている人間なんだと悲しみは捨てました。」



後悔しても妹は帰ってこない。

明日この町に何兆円というお金がきて、町が被災前に戻ったりもしない。



いま与えられている条件の中で、その問題と対峙するしかない。

「だから、自分たちの能力や現状のサイズに合わせて、もう知恵しぼって、間に合うことをやりましょう、ってことです」


笑う、避難所 石巻・明友館
136人の記録



「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これは明友館では具体的なルールだったわけだが、この言葉の示唆するところは実に奥深い。



現代社会から出る「ウンコ」は、いったい誰が流しているのか?

放射性廃棄物などの大きな問題から、台所から出る生ゴミまで、我々の「ウンコ」はそう簡単には流れていかない。

幾人も幾人もの手を経て、ときには国境を越えてまで流れていく。



自分のしたウンコは土に埋めてしまえば、それで終わるわけだが、現代社会のウンコはどこまで行くのか?

そして、それはちゃんと流れて終わってくれるのか?

異臭を放ったまま、多くの人々、時には後世の子供たちにまで害が及ぶことはないのだろうか?



千葉さんが肝に銘じていたのは、「変なルールはつくらない」ということだった。

たった一つの、そして最も大事なルール。それが守れたからこそ、その避難所は奇跡となったのだ。



我々の社会には「変なルール」ばかりが幅をきかせすぎて、最も大事なルールは疎かにされてしまっているのかもしれない。

それでも、「後悔しても始まらない」。

「いま自分が置かれている場所」で、「最大限に工夫する」だけである。ウンコがきれいに流れていくことを願いながら…。










出典:致知5月号
「奇跡の避難所はかくて生まれた」

0 件のコメント:

コメントを投稿