2012年6月11日月曜日

閉鎖性が神性を育んだ「摩周湖」


「霧の摩周湖」

北海道の山上に位置するこの湖は、古来より「山神の湖」として、アイヌの民により自然崇拝されてきた湖である。

※摩周湖をアイヌ語で言うと、「キンタン(山にある)・カムイ(神の)・トー(湖)」となる。




その伝説は、こう記す。

ある戦いに敗れ、孫とはぐれてしまった老婆。

孫を探すのにホトホト疲れ果ててしまった老婆は、摩周湖のほとりで、「カムイ・ヌプリ(摩周岳・神の山の意)」に一夜の休息を請うた。



疲労困憊していた老婆、一夜どころか何夜も何夜も、そこから動くことが叶わない。すっかり悲嘆にくれた老婆は、ついに湖に浮かぶ「島」へと姿を変えてしまった。

その島こそ、摩周湖の真ん中にポツリと寂しそうに浮かぶ「カムイシュ島」である。

※「カムイ」は神、「シュ」は老婆を意味する(アイヌ語)。




古来より、人々が摩周湖に「神性」を見てきたのは、なぜだろう。

この不思議な湖には、流れ込む川もなければ、流れ出る川もない。それでいて、その水位の変化は、最大でも40cmほどに保たれている(1982年の調査以来)。

摩周湖の水位が上がると、その水圧により湖底から漏れ出る水の量が増え、その結果、水位が一定に保たれるのだという。

※摩周湖への水の流入は降水が73%、外輪山からの集水が22%。一方、流出に関しては、湖底からの漏洩が60%、蒸発が40%(国立環境研究所調べ)。



この摩周湖の閉鎖性が、この湖の神性を保っている。

流れ込む水がないということは、湖を汚染するような物質(窒素やリン)が外部から入ってこないということでもある。

このお陰で、その透明度たるや、一時は世界一ともなったほどであった(41.6m・1911)。一般的に、透明度が8mを越える湖は、「とてもキレイ」と見なされるというのだから、それが40mを超えるとなると、まさに別格である。

※ちなみに、摩周湖の透明度は6~7月に最も高く、次ぐ8~9月には低くなる傾向があるという。それは、5月と12月が摩周湖の循環期であり、この時期に水質が均一となることとも関係しているようである。



流れの中にない摩周湖は、いうなれば「巨大な水たまり」である。

※ちなみに、河川を伴わない摩周湖は国交省の管轄とならず、湖面には樹木がないため、農水省の管轄ともならない。つまり、法的にも「水たまり」として国の直轄とされている。



この巨大な水たまりは、火山噴火の産物であり、摩周湖はカルデラ湖と呼ばれるタイプに属する。

「カルデラ」というのは、スペイン語で「鍋」を意味するそうであるから、この水たまりは鍋を満たす水のようなものである。



摩周湖が誕生する以前、その山容は富士山のようなものだったと考えられているが、およそ3万年前から始まったとされる火山活動は、その立派な頭をどこかへ吹き飛ばしてしまった。

そして、その吹き飛んだ跡の凹みが、摩周湖となったのである。つまりは、大噴火という神々の激情が、この湖を産んだのだ。

これは7,000年ほど前の出来事であり、日本国内では最も新しいカルデラ湖の形成であった。




流れのない摩周湖は、周辺の動植物の進化をまったくと言っていいほどに促進しなかったようだ。

流れ込むはずの栄養素が極端に少ないため、「極貧栄養湖」とも分類され、摩周湖を縁取る外輪山の植生は、その誕生から7000年を経てなお、100%原始の様相を保っていると言われている。

その木々はといえば「ダケカンバ」、その下草はといえば「クマザサ」、といったようなシンプルさである。



その湖水に住む魚も少なく、かつては「エゾサンショウウオ」以外の大型の動物は生息していなかったようである。

ところが今の摩周湖には、ニジマス、ヒメマス、スチールヘッド、ウチダザリガニ…、などなど多くの水生生物たちが遊んでいる。



流れ込む川がないのに、彼らはどうやって摩周湖に住み着いたのか? 天からでも降ってきたのか?

答はじつにシンプル。ここに挙げたこれらの種は、人間の手によって摩周湖に「放流された」のである。



大正時代の最末期、1926年から3年間、「ニジマス」の稚魚3万7,000万匹が放流されたのが、その始まりであった。

その後、アメリカのニジマス「スチールヘッド」が1万3,000匹、そのエサとして、やはりアメリカの外来種「ウチダ・ザリガニ」が500尾が、摩周湖に投入された。




第二次世界大戦の勃発により、一時放流は中断されるも、戦争終結ととも放流は再開される。

1974年までに放流された「ヒメマス」は、およそ30万匹にものぼる。



こうして、7000年来の平穏を保ってきた神の湖には、大いなる「人為」が加わったのである。

果たして、精妙なバランスを保ち続けていた摩周湖の生態系は、新たなバランスを求めて動き始めた。



ただでさえ少なかった摩周湖のプランクトンは、人間により持ち込まれた魚たちにより、あっという間に食べ尽くされた。

魚が食べるサイズのプランクトンが減少すると、それより小さなサイズのプランクトン「ピコ・プランクトン」の繁茂につながった。

通常のプランクトンのサイズを「雨つぶ」に例えれば、ピコ・プランクトンは「霧」のように細かい。雨よりも霧のほうが視界を遮ってしまうように、ピコ・プランクトンの繁茂は、摩周湖自慢の透明度を低下させてしまった。

※細かい粒子ほど、光を多方向へ散乱させてしまう。




また、アメリカからの外来種は、日本の固有種よりも圧倒的に大型で強力だった。

たとえば、摩周湖に連れて来られた「ウチダ・ザリガニ」は、日本古来の「日本ザリガニ」を見事に駆逐し、いまや「日本の侵略的外来種ワースト100」に選定されているのだとか。

もともとはニジマスのエサとして導入されたウチダ・ザリガニは、いまや日本のか弱き生物たちをエサにしているのである。




さて、ここで素朴な疑問が浮上する。

「なんで、そんな危険な生物を、摩周湖に放流したの?」



種々の生物が摩周湖に放たれた時期は、第二次世界大戦を挟んだ激動の時代。今のように、捨てるほど食糧が有り余っている時代とは、わけが違う。

彼らはまさに「必死」だったのであろう。貴重なタンパク源の確保に…。

事の後先は、後になって初めて判るものである。



戦後の1954年、時の昭和天皇が摩周湖のある弟子屈町を訪れたが、残念ながら、昭和天皇は摩周湖を見ることができなかった。摩周湖自慢の「霧」のために。

そこで摩周湖を見られなかった昭和天皇のために、是非にと献上されたのが、摩周湖自慢のウチダ・ザリガニであったという。

日本ザリガニよりも2~3倍も大型のウチダ・ザリガニは、レイク(湖の)・ロブスターと呼ばれて、今でもレストランなどで食用にされているとのこと。




7000年間、変化の極めて乏しかった摩周湖は、人為の影響を避けられない状況に置かれはじめている。

さすがに魚の放流という露骨な関与は、現在では為されていないものの、自然に流れ込む「大気の汚染」からは逃れる術がない。



かつて、殺虫剤として使われていた「BHC」という化学物質は、その危険性から1972年に日本で禁止された物質であるが、40年以上が経過してなお、摩周湖からはBHCが検出され続けている。

BHCの濃度は最悪期で30pptだったというが、今でも数pptは残留しているというのである。さらに、その数pptを魚たちが取り込むことによって、1000倍にも濃縮されるのだという(食物連鎖の上位における生物濃縮)。




これらのBHCは、日本国内からばかりでなく、雨や雪、大気中のガスとして、地球規模で遠くから移動してきたものでもあるという。

そして今、アジアの龍として天にも昇る勢いの中国からもたらされる大気も、摩周湖に忍び寄りつつある。



近年、摩周湖で目立ってきた木々の「立ち枯れ」は、高濃度のオゾンによる酸化の影響だと考えられている。そして、それは偏西風に乗ってやって来る中国からの汚染大気だとも言われている。

工場や発電所、自動車などから出る排ガスは、太陽の光に晒されることで「光化学スモッグ」となる。そして、それらは風まかせに自由に空を飛び回る。

幸か不幸か、地球の自転方向は、中国の風をつねに日本に運んできてくれるのだ(偏西風)。




摩周湖の神秘性は、その「閉鎖性」にあったはずである。

地球上で最も透明度の高い「サルガッソ海(アメリカ寄りの大西洋)」は、不思議と流れから取り残されているために、その美しさを保っているのであり、龍泉洞(岩手)の清らかさは、洞窟という閉鎖的な空間が育んだものである。



ところが、グローバル化の波は、そんな閉鎖性を許してはおかないようだ。

良くも悪くも、すべてのものは「流れ」の中に取り込まれ、そして、か弱きものほど汚されてゆく。もはや、「弱き美しさ」は絶滅の危機に瀕しているかのようである。



経済原理に照らし合わせれば、富をもたらすのは「流れ(流動性)」に他ならない。

それは、「流通」のもたらす利益を考えれば、容易に想像がつく。モノを生産するよりも、モノを流すほうが大きな利につながるのだから。

世界で最も流れの速い「金銭」を司ることは、最高の富をもたらしてくれるのだ。



逆に言えば、流れの外に身を置くことは、貧しさに身を浸すことにもつながる。

流れのない摩周湖が、「極貧栄養湖」となっているは、大変に示唆的である。

しかし、極貧ではあるが、実に神々しいのである。



日本には「わび」という思想があるが、禅の大家・鈴木大拙氏は、こう述べている。

「わび」の真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流の社会のうちに、またそれと一緒に、おらぬ」ということである(禅と日本文化)。

すなわち、わびの真意は、世俗の流れから一歩引いたところにあるというのである。



また、こうも述べられている。

なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること。これが「わび」を本質的に組成するものである(禅と日本文化)。




なるほど。摩周湖のもつ神秘性は、「わび」に通ずるものがある。

摩周湖の水がすっかり入れ替わるには、最低でも100年以上の歳月が必要だというから、摩周湖の流れは、人間の知覚できる範囲の時空をすっかり超えてしまっている。

すなわち、その流れは決して表層的な速いものではなく、もっともっと底流に根ざすユルリとしたものなのだ。7000年もの歳月が不動に見えるほどに…。



ゆっくりゆっくり進む摩周湖は、いずれ人間の放った魚たちをも包容してゆくのであろう。そして、あらゆる人為的な物質をも。

ただ、それらが十分に消化されるのには、人智を超えた時間が必要にもなるのであろうが…。



摩周湖は年間200日も「霧」に覆われるというが、アイヌの伝説によれば、それは冒頭でご紹介した「島となった老婆」の「涙」なのだという。

霧の摩周湖で、唯一変化の激しいものといえば、その霧以外には何もない。

不動の神の見せる唯一の情、それがその霧なのかもしれない…。






出典:サイエンスZERO 
摩周湖 神秘の湖に迫る異変

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