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2012年8月26日日曜日

稲田朋美という政治家の憤。歴史を知り、国を知る。


もし、日本で初めて「女性の首相」が誕生するとしたら…?

それは「稲田朋美」氏(自民党・副幹事長)かもしれない。

森喜朗、阿倍晋三、両元首相等は彼女を「日本のサッチャーだ」と呼び、その他、多くの識者連中も彼女を熱烈に後押しする。



◎気骨ある女性・弁護士


「今、最高裁までがダメだと著書に書くほど勇気のある政治家は、稲田先生の他にいませんよ」、と渡部昇一・上智大学名誉教授は語る。

稲田氏は元々弁護士が本業であり、阿倍晋三・元首相のラブコールによって、政治家となった女性である。その彼女が弁護士時代に、「あぁ、日本は裁判所もダメなんだ…」と深い悲しみと怒りを感じた事件があった。

それは、南京「百人斬り」と呼ばれる事件の訴訟を担当した時のことであった。





2012年7月27日金曜日

あえて低く建てられた「首里城」の意味するもの


「戦いの気配が感じられない城」

沖縄の「首里(しゅり)城」は、そう呼ばれている。

なぜなら、この城には戦闘を象徴する「天守閣」が存在しないからである。天守にあたる朱塗りの「正殿」は、2層3階という低い建物になっている。




◎外交により守られていた琉球王国


15世紀の沖縄に王国を打ち立てた「尚氏(しょうし)」は、「武力」ではなく「外交」で国を守ってきたのだという。

中心たる正殿の左手(北側)には、「中国」からの使節を迎える中国風の建築(北殿)があり、右手(南側)には「日本」から来る薩摩の役人が滞在する建物(南殿)がある。



もともとは中国(明)に貢物を納め保護を受けていた琉球王国(沖縄)であったが、日本に江戸幕府が成立して以降は薩摩藩の侵攻を受け(1609)、中国と日本の二重支配下に置かれることになる。

その両大国の狭間にあって、琉球王国は巧みな外交戦略により独自の地位を確立し、人口が17万人にも満たなかったという小さな王国でありながらも、400年以上にわたる繁栄を謳歌することになる(1429~1879)。

戦う意思を示さない首里城の正殿。それは、巧みな外交姿勢を如実に表現していたのである。低姿勢でありながらも、その内部は威厳に満ちている。朱塗りの王座はじつに壮麗であり、琉球王家の揺るぎなさを物語っている。


2012年6月26日火曜日

中国山地で舞われ続ける「神楽」


数々の「神話」の舞台となっている「中国山地」では、数千もの舞い(神楽)が今の時代にも舞われ続けているという。

舞い続ける人々は、その舞いがどのような意味を持つのかも忘れてしまっていることが多いというが、それでも神楽の舞いは脈々と続けられているのである。



そんな中、鳥取県西部一帯に伝わる「大元神楽(おおもとかぐら)」の目的は明瞭である。

大元神楽の目的は、「神の声」を聞くことにある。

大元信仰の神である「大元さま」は、普段は高い山や深い谷、大きな樹などに宿っているとされているが、神楽が舞われる時にだけ、人に降りて来てくれるのだそうな。



2012年6月24日日曜日

対の神々の産んだ子供たち。日光


「日光(にっこう)」という信仰の地は、江戸時代に徳川家康が祀られたことにより一躍有名になった土地であるが、その信仰の歴史はそれよりもずっと古い。

「日光」という文字が文献に現れるのは「鎌倉時代」。言い伝えによれば、さらに時代が下る「空海」がこの文字を当てたのだという(空海は820年に日光を訪れたとされている)。



それ以前の記録(記紀六国史)では、「日光」という漢字ではなく、「二荒(にっこう)」という漢字が当てられている。

元々の「二荒」は「ふたら」と読まれ、それは「山の崩落部」を表す古語であったとともに、「二荒神」という神様を表すものでもあったのだという。

その二荒神を祀るという日光の「男体山(なんたいさん)」はかつて「二荒山(ふたらさん)」とも呼ばれた山である(その山頂には「二荒山神社」が鎮座している)。



2012年6月20日水曜日

「犬神」のもたらす好ましからざる富


四国・徳島の山あいに、「賢見(けんみ)神社」という一風変わった神社がある。

何が変わっているかというと、この神社は日本で唯一、「犬神」を祓う神社なのだそうな。




そのお祓いの特徴は、「金幣」という鈴のついたジャラジャラで参拝者の邪気を払うところにあるという。また、高音と低音がおりなす祝詞(のりと)も独特の調子である。

※賢見神社の創建は、およそ1300年以上も前の5世紀末、聖徳太子のちょうど生まれる頃である。この社名の由来は「犬を観る→犬(けん)観(み)→賢見(けんみ)」。




なぜ四国にこのような神社があるのかというと、四国は古くから「犬神の本場」とされてきたからである。

四国に犬神の多い理由は、この地に「狐」が住まぬゆえだといわれる。ほかの地方ではキツネの仕業とされる「狐憑き」までが、すべて犬の仕業とされてきたのだとか。


2012年6月18日月曜日

「吉野」に散る桜と、蘇りの「熊野」


桜が満ちる春の吉野山(奈良)。

山々から溢れ返えらんばかりの桜の木々はおよそ3万本。

これほど多くの桜の木々がこの地に育まれてきたのは、吉野には桜を「御神木」として大切にしてきた歴史があるからなのだという。




桜の木々に取り囲まれるように佇む「金峰山寺(きんぷせんじ)」には、こんな伝説が残る。

今から1300年以上も前、「役小角(えんのおづぬ)」という修験道の行者は吉野の山中で修行に明け暮れていた時のこと。

役小角の山々への祈りは巨岩から「蔵王権現(ざおうごんげん)」をこの世にいだす。そして、眼前に現れいでた蔵王権現を役小角は「桜の木」で彫り上げたのだそうだ。

それ以来、桜の木は「御神木」とされ伐採を禁じられることとなる。



2012年6月13日水曜日

憤怒の「蔵王」、静かなるひと時。


昔々、雪深い山あいのその村は、「冬は寝て暮らす」より他になかったという。

なにも、好き好んで寝ているわけではない。それより他、何もできぬ土地柄だったのである。米を作るにも不向きで、冬場に山上から吹き降ろす寒風は、全てを凍てつかせてしまうのだ。

ここは「蔵王」の麓の村である(山形)。



「蔵王」という名は、かの「蔵王権現」からとられている。

蔵王権現というのは、修験道の祖とされる「役行者」が呼び寄せたと謂われる仏様である(この仏様は、珍しくもインドや中国に起源を持たない、「日本独自」の仏様なのだとか)。



何故、そのような名がつけられたかと言えば、その山があまりにも「荒ぶる山」だったためである。100万年前から続くという「火山活動」。地の底深くマグマのたぎる火の山は、火を噴いてやまなかった。

その「荒ぶる山」を鎮めようと、都からは何人もの修験者たちが送り込まれ、その頂きに多くの神々を祀った。そして、その祈りの中心が「蔵王権現」だったのである。


2012年6月12日火曜日

生き続ける「奇跡の人」。小野春子氏


「小野さん、あなたは4、5年前に死んでいるはずだ。

なぜ、生きているんですか?」



医者がそう言うのも無理はない。

「医学的なデータ」だけを見れば、彼女はすっかり死んでいておかしくない。しかし、それでも彼女は生きている。82歳の小野春子さんは、ちゃんと生きている。



ある時の心配停止は一時間にも及んだ。彼女が蘇生した頃には、葬儀の準備がすでに始まっていたほどだ。

末期ガン、心筋梗塞、全身麻痺、失明…、彼女を襲った難病奇病を挙げていけば、枚挙にいとまがない。そんな艱難辛苦に遭いながらも、それらをすべて克服してきたというのであるから、それは人智を超えていると言わざるを得ない。