2012年6月20日水曜日

「犬神」のもたらす好ましからざる富


四国・徳島の山あいに、「賢見(けんみ)神社」という一風変わった神社がある。

何が変わっているかというと、この神社は日本で唯一、「犬神」を祓う神社なのだそうな。




そのお祓いの特徴は、「金幣」という鈴のついたジャラジャラで参拝者の邪気を払うところにあるという。また、高音と低音がおりなす祝詞(のりと)も独特の調子である。

※賢見神社の創建は、およそ1300年以上も前の5世紀末、聖徳太子のちょうど生まれる頃である。この社名の由来は「犬を観る→犬(けん)観(み)→賢見(けんみ)」。




なぜ四国にこのような神社があるのかというと、四国は古くから「犬神の本場」とされてきたからである。

四国に犬神の多い理由は、この地に「狐」が住まぬゆえだといわれる。ほかの地方ではキツネの仕業とされる「狐憑き」までが、すべて犬の仕業とされてきたのだとか。





日本には犬神と限らず、キツネやらヘビやら、動物の霊が人間に憑依する話は各地方に根強く残っている。

十二支に12の動物がいるように、人に憑く動物も12種類いたらしい(これは古代の陰陽師が「式神」を十二神将と考えたことに由来する)。そのうち、「犬・猿・蛇(長縄)」の三種の霊は、ことさらよく用いられたようである。



犬神の作り方は、少々残酷である。

「犬を頭のみ出して土中に埋め、そのまま久しく食を与えずに捨て置き、やがて餓死せんとする時を見計らい、美食を調えて、犬の頭より少し離れたところに置けば、犬は如何にかして食わんものと悶え苦しんで、その精神が頭に懲り集まる。

その時、不意に後ろから刀をもって頭を打ち落とすと、頭は飛んで食物に食らいつく(遠碧軒記)」



この残酷さゆえに、犬神は恐ろしい怨念の力を得る。そして、ひとたび人に取り憑けば、決して離れなくなるのである。飢えが頂点に達した犬の頭が、美食に食らいついて離れぬように…。

取り憑かれたその人が死ねば、犬神はその子供に、その子が死ねば、その孫に…と、一旦取り憑かれれば最後、その犬神がその家の血を去ることは決してないのである。



「犬神筋」といわれるのは、犬神に取り憑かれた家系のことである。

犬神は婚姻によっても広まっていくと考えられていたため、地方によっては、犬神筋との婚姻は毛嫌いされる。

「犬神地方で縁談のある時は、媒酌人は系図調べと称して、まず第一にこの犬神の有無を穿鑿するという(遠碧軒記)」




不思議なことに、犬神筋の家は「裕福」であることも多いという。犬神が満足いくように祀られてさえいれば、犬神がその家に富をもたらすのだという。

しかし、もし犬神様を邪険に扱えば…、怒った犬神に憑依された人はトランス状態に陥り、異常なことを口走り、四つん這いになって走り回る…。



犬神には「神」という名が付いてはいるものの、それは駄々っ子を黙らせるために持ち上げているようなもので、その実、なんともワガママな神様なのである。

犬という動物霊には、どこか下等なところがあるようだ。それゆえ、犬神のもたらす富というのは、他の人の富を盗んだものなのだという。つまり、人の不幸を自家の幸福とするのである。

たとえば、犬神に憑かれた人が、誰かの持ち物を見て「欲しい」と思ったとすれば、犬神は「俺にまかせろ」とばかりに勝手にその持ち主に憑いて病気にしてしまったりするのだという。



ちなみに、管狐(くだきつね)というのも、犬神と同様に「他家から品物を調達する」らしく、管狐のいる家は裕福になるのだという。

しかし、75匹にまで増えるという管狐は、いずれその家を食い潰してしまうのだとか。




はてさて、こうして見てくると、犬神の意味するところが朧気ながら見えてくる。

おそらく上等な神様というのは、無限の源泉から富をもたらしてくれるのであろう。それに対して、犬神などの下等な神様は、有限な富を奪い合うように仕向けているようである。そして、その奪い合いが極まれば、自滅する…。



今の時代に犬神といっても現実味が薄いとはいえ、その「念」は姿を変えて現代人の心にも巣くっているとはいえまいか。

現代経済は、どこか「早いモノ勝ち」的なところがあり、物を生み出す人々よりも、それを流通させる人々を富ませるところがある。その必然として、生産の意味が薄れてくる。

政経専門誌の「The Economist」でも論じられているように、どんなに日本のモノづくりが優れていても、それに見合う富は日本にもたらされていないのである。




富というのは、他からもたらされるものであろうか。

富というのは、その人の心に芽生えさせることができぬものであろうか。



犬神を良しとしなかった日本民族は、他者を押しのけて、他人を不幸にしてまで自らが富もうとは考えないのではあるまいか。

奪った富は、いずれもっと強い者に奪われる。それゆえ、歴史の中に「盛者必衰」でない例を探すことは、極めて困難である。



先のEconomist誌の記事は、日本のモノづくりを自己満足であると論じながらも、1400年以上続く世界最古の企業「金剛組」などが日本に存在することを評価もしている。

寺社仏閣の建築を手がける「金剛組」の創業は578年、冒頭にご紹介した犬神祓いの「賢見神社」の創建とほぼ同時期、聖徳太子の生きていた時代である。



日本という国は、国家としても世界最古である(紀元前660年~)。アメリカのCIAの公式サイトやWikipediaにそう書いてあり、ギネスにも認定されているらしい。

次に古い国家はデンマークであるが、その建国(初代国王ゴーム)は10世紀であるから、最古の日本との差は、なんと1500年以上にも及ぶ。また、3位はイギリスで、日本の歴史の半分程度にすぎない。



日本の建国というのは、正史とされる「日本書紀」に記述のある初代・神武天皇の即位(紀元前660年2月11日)がそれである。

それゆえ現在の時の大国・アメリカといえども、日本の天皇よりは格下である。

アメリカ大統領が自ら空港に出迎えに行かなければならない格上の権威は、世界に3人だけ、旧宗主国のイギリス女王、キリスト教のローマ法王、そして、日本の天皇陛下。

※オバマ大統領が天皇陛下に謁見した際、その「お辞儀の角度」が深すぎるとアメリカで騒がれていたが…。




そんなことを思えば、日本という国家、そしてその民族の血の中には、きわめて濃厚に「永続性」という記憶が息づいているのではあるまいか。

日本人が「利益自体のために利益を追求することを、『公衆の面前で鼻をかむ』のと同じように、みっともないことと思っている(英国エコノミスト誌)」のも、ゆえなきことではないのだろう。

この民族が無意識に見ているものは、よほどに長大な先なのである。それゆえ、隣りの家のダンゴを盗んでくるような犬神は、本能的に嫌われるのであろう。



どうにも犬神は、時を超えて、世界にあまねく存在しているようである。

普通の人の目には見えぬという犬神は、「少し大きめのネズミほどの大きさで、モグラの一種であるため目が見えず、一列になって行動する(Wikipedia)」と伝えられている。

その様はまるで、盲目のまま金銭の列に連なる現代人のようではあるまいか。そして、増えすぎた犬神たちは…、結局自滅するより他に道はないのである。

彼らの求める富は、明らかに有限なのだから…。




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出典:新日本風土記「祖谷・大歩危」

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