2012年6月29日金曜日

使うほどに燃料が増えるという「夢の燃料」プルトニウム


そこには、「プルトニウムの缶詰」というものが置いてあった。

「プルトニウム」というのは断じて食品ではない。毒も毒、半減期2万4000年という化け物のような放射性物質である(原子番号94は、"苦しんで死ぬ"と覚えるのだとか)。

「その缶詰は、ポカポカと温かかった」と伊原義徳さん(88)は語る。プルトニウムが崩壊していく過程で発せられる「崩壊熱」で温かかったのだ。



彼がその缶詰に触れた場所は「アメリカ」。それは、伊原さんが「原子力」の技術を学ぶためにアメリカのアルゴンヌ国立研究所に留学していた時のことであった。当時、世界随一の原子力技術を誇っていたアメリカ。それだけに、猛毒・プルトニウムの扱いもお手の物であったのである。小さな缶に閉じ込めてしまうほどに。

アメリカの原子力に対する知識や技術に感銘を受けた伊原さんは、「あぁ、日本でも早くこんな缶詰が作れたらなぁ」と切に願ったという。



2012年6月26日火曜日

中国山地で舞われ続ける「神楽」


数々の「神話」の舞台となっている「中国山地」では、数千もの舞い(神楽)が今の時代にも舞われ続けているという。

舞い続ける人々は、その舞いがどのような意味を持つのかも忘れてしまっていることが多いというが、それでも神楽の舞いは脈々と続けられているのである。



そんな中、鳥取県西部一帯に伝わる「大元神楽(おおもとかぐら)」の目的は明瞭である。

大元神楽の目的は、「神の声」を聞くことにある。

大元信仰の神である「大元さま」は、普段は高い山や深い谷、大きな樹などに宿っているとされているが、神楽が舞われる時にだけ、人に降りて来てくれるのだそうな。



2012年6月24日日曜日

対の神々の産んだ子供たち。日光


「日光(にっこう)」という信仰の地は、江戸時代に徳川家康が祀られたことにより一躍有名になった土地であるが、その信仰の歴史はそれよりもずっと古い。

「日光」という文字が文献に現れるのは「鎌倉時代」。言い伝えによれば、さらに時代が下る「空海」がこの文字を当てたのだという(空海は820年に日光を訪れたとされている)。



それ以前の記録(記紀六国史)では、「日光」という漢字ではなく、「二荒(にっこう)」という漢字が当てられている。

元々の「二荒」は「ふたら」と読まれ、それは「山の崩落部」を表す古語であったとともに、「二荒神」という神様を表すものでもあったのだという。

その二荒神を祀るという日光の「男体山(なんたいさん)」はかつて「二荒山(ふたらさん)」とも呼ばれた山である(その山頂には「二荒山神社」が鎮座している)。



2012年6月21日木曜日

魔力をもつ「桜」、かくも潔く。


「本物の桜と間違えて、鳥が止まろうとした」

こんな逸話が残るほどに見事な「桜」を描き切ったのは、江戸時代(後期)の女流画家「織田瑟々(おだ・しつしつ)」という人である。53年という生涯の中で、彼女が描き残したのは「桜のみ」(70点ほど現存)。

「織田」の姓から連想されるように、彼女は戦国時代の一時的な覇者「織田信長」の末裔である(より正確に記すならば、織田信長の九男・信貞の子孫ということになる)。




近江(滋賀)に生まれた瑟々は、お隣りの京都へ出て絵を学ぶ。

ところが彼女が30そこそこの頃、夫(石居信章)に先立たれ、それ以降は髪をおろし「尼」となる。

※「瑟々」と号したのはそれからであり、それまでは「津田政江」という姓名であった(尼になってから、織田姓を名乗るようになった)。

そして、桜に専心するようになったのもその頃からである。


2012年6月20日水曜日

「犬神」のもたらす好ましからざる富


四国・徳島の山あいに、「賢見(けんみ)神社」という一風変わった神社がある。

何が変わっているかというと、この神社は日本で唯一、「犬神」を祓う神社なのだそうな。




そのお祓いの特徴は、「金幣」という鈴のついたジャラジャラで参拝者の邪気を払うところにあるという。また、高音と低音がおりなす祝詞(のりと)も独特の調子である。

※賢見神社の創建は、およそ1300年以上も前の5世紀末、聖徳太子のちょうど生まれる頃である。この社名の由来は「犬を観る→犬(けん)観(み)→賢見(けんみ)」。




なぜ四国にこのような神社があるのかというと、四国は古くから「犬神の本場」とされてきたからである。

四国に犬神の多い理由は、この地に「狐」が住まぬゆえだといわれる。ほかの地方ではキツネの仕業とされる「狐憑き」までが、すべて犬の仕業とされてきたのだとか。


自ら立ち上がらんとする被災地の民


世界のエリート集団が東北の「被災地」に現れた。

彼らエリートたちが属するのは、ハーバード大学の大学院「ケネディ・スクール」。世界各国の首脳やリーダーなどを幾多と輩出してきた世界のリーダー養成機関である。

※創設から400年近くがたつハーバード大学は、オバマ大統領はじめアメリカで8人の大統領、そして75人のノーベル賞受賞者を出している。




ちなみに彼らは大学院生とは言えど、すでに社会に出て各国政府で働いたり国際組織で働いていたりと、10年以上の職歴を持つ者も少なくない。

ある者はホワイトハウスで働いていたり、ある者は国境なき医師団の責任者であったり…。



世界の目を持つ彼らは「被災地」で何を見たのか?

日本の政府要人たちとも面会した彼らは、日本政府の対応をどう評価したのか?


風評は「情報の一つ」。星野佳路氏


東日本大震災(2011)の被災地となった東北地方。

それ以来、「風評被害」という言葉が東北のアチラコチラから絶えず漏れ聞こえてくる。



風評被害という言葉には、「どうしようもない」「しょうがない」といった諦観が漂っている。

それもそのはず。今季の東北のスキー場などでは「集客が半減した」というところも珍しくなく、場所によっては8割減などという信じ難い数字までがあるようだ。

そんな恐ろしい数字を見てしまえば、「風評被害のせいだ」と責任追求したくもなるだろう。



それでも、「星野佳路」氏は10年後の東北を見据えている。

「(震災が起こる前の)2010年の東北よりも、2020年には遥かに強い東北をつくる」

星野氏はリゾート開発の達人であり、今までに幾多となく廃れた観光地に新しい息吹を送り込んできた。



2012年6月19日火曜日

陸の孤島「祖谷(徳島)」


四国のヘソのヘソ、奥の奥と言われる「祖谷(いや)」。

「平家の隠れ里」とも言われるだけあって、その谷の深さはまことに浅からぬものがあるようだ。

2億年もの間、吉野川の激流が削ってきたという「大歩危(おおぼけ)」「小歩危(こぼけ)」という渓谷、その名の由来はそれぞれ、「大股で歩くと危ない」「小股で歩いても危ない」と言い伝えられているほどである。



そうした断崖絶壁に渡されたのは、カズラ(つる)で作られた「かずら橋」という吊り橋のみ。

ひと一人が渡っただけでも、また、よそ風がそよいだだけでも揺れるというカズラ橋。徳島に伝わる民謡には、こう歌われている。「♪祖谷のカズラ橋ゃ~、蜘蛛の巣の如く~、♪風も吹かんのにユラユラと~、♪風も吹かんのにユラユラと~」

平家の落ち武者も、この吊り橋を切り落としてしまえば、源氏の追っ手を谷の向こうに立ち往生させることができたのだとか。



日本発、世界に広まる「タコ食い」


「タコ」の価格がウナギのぼり?

今やスーパーのタコは「高級品」。安いマグロや肉などよりもよっぽど高い(100gあたり300~400円)。国際市場は前年比で30%近く上昇しているとのこと。

さらに悪いことには、先月までの円安の影響で輸入商社は今月分の買い付けを見送ることろもでてきている。そのため、4月の小売価格はさらに30%値上がりしたという。

このままでは、真っ赤なタコにタコ焼き屋さんも真っ青だ。




ところで、我々日本人が食するタコはどこからやって来るのだろう?

国内産は3割程度にすぎず、他7割は「輸入」に頼っているというのだが…。


2012年6月18日月曜日

「吉野」に散る桜と、蘇りの「熊野」


桜が満ちる春の吉野山(奈良)。

山々から溢れ返えらんばかりの桜の木々はおよそ3万本。

これほど多くの桜の木々がこの地に育まれてきたのは、吉野には桜を「御神木」として大切にしてきた歴史があるからなのだという。




桜の木々に取り囲まれるように佇む「金峰山寺(きんぷせんじ)」には、こんな伝説が残る。

今から1300年以上も前、「役小角(えんのおづぬ)」という修験道の行者は吉野の山中で修行に明け暮れていた時のこと。

役小角の山々への祈りは巨岩から「蔵王権現(ざおうごんげん)」をこの世にいだす。そして、眼前に現れいでた蔵王権現を役小角は「桜の木」で彫り上げたのだそうだ。

それ以来、桜の木は「御神木」とされ伐採を禁じられることとなる。



2012年6月15日金曜日

ウンコをしたら、ウンコを流そう。たった一つのルール。


「ウンコをしたら、ウンコを流そう」

これが「奇跡の避難所」とのちに呼ばれる明友館(宮城・石巻)の「たったーつのルール」だった。



「流す」といっても、簡単なことではない。

ボタン一つを押せば流れるわけではなく、「外から排水溝の上澄みをすくってきて流すしかない」。

なにせ、ここは大震災直後の被災地である。



狭い場所にギュウギュウに詰め込まれた避難所にあって、「細々しい決め事」が多ければ、逆にトラブルの元ともなりかねない。

それなら、「ウンコをしたら、ウンコを流そう」。

この最低限のルールだけ、守ってもらおうじゃないか、となったのだ。


2012年6月13日水曜日

憤怒の「蔵王」、静かなるひと時。


昔々、雪深い山あいのその村は、「冬は寝て暮らす」より他になかったという。

なにも、好き好んで寝ているわけではない。それより他、何もできぬ土地柄だったのである。米を作るにも不向きで、冬場に山上から吹き降ろす寒風は、全てを凍てつかせてしまうのだ。

ここは「蔵王」の麓の村である(山形)。



「蔵王」という名は、かの「蔵王権現」からとられている。

蔵王権現というのは、修験道の祖とされる「役行者」が呼び寄せたと謂われる仏様である(この仏様は、珍しくもインドや中国に起源を持たない、「日本独自」の仏様なのだとか)。



何故、そのような名がつけられたかと言えば、その山があまりにも「荒ぶる山」だったためである。100万年前から続くという「火山活動」。地の底深くマグマのたぎる火の山は、火を噴いてやまなかった。

その「荒ぶる山」を鎮めようと、都からは何人もの修験者たちが送り込まれ、その頂きに多くの神々を祀った。そして、その祈りの中心が「蔵王権現」だったのである。


2012年6月12日火曜日

生き続ける「奇跡の人」。小野春子氏


「小野さん、あなたは4、5年前に死んでいるはずだ。

なぜ、生きているんですか?」



医者がそう言うのも無理はない。

「医学的なデータ」だけを見れば、彼女はすっかり死んでいておかしくない。しかし、それでも彼女は生きている。82歳の小野春子さんは、ちゃんと生きている。



ある時の心配停止は一時間にも及んだ。彼女が蘇生した頃には、葬儀の準備がすでに始まっていたほどだ。

末期ガン、心筋梗塞、全身麻痺、失明…、彼女を襲った難病奇病を挙げていけば、枚挙にいとまがない。そんな艱難辛苦に遭いながらも、それらをすべて克服してきたというのであるから、それは人智を超えていると言わざるを得ない。


2012年6月11日月曜日

閉鎖性が神性を育んだ「摩周湖」


「霧の摩周湖」

北海道の山上に位置するこの湖は、古来より「山神の湖」として、アイヌの民により自然崇拝されてきた湖である。

※摩周湖をアイヌ語で言うと、「キンタン(山にある)・カムイ(神の)・トー(湖)」となる。


2012年6月7日木曜日

「ムラの掟」に縛られ続ける日本人


「『政策』ではなく、『政局』で政治が決まるのは、日本の特殊な現象だ」

経済学者の池田信夫氏は、そう語る。

「政局」というのは、政党や政治家の「動き」であり、そして、それらの「つながり方」でもある。



たとえば、元民主党代表の小沢一郎氏は、「公的には何の地位にも就いていない」にも関わらず、その去就が現在の政局の焦点となっている。

それは、とりもなおさず「彼を中心とする『非公式の人間関係』が、決定的に重要だからである(引用部分は池田信夫氏の記事より)」


2012年6月6日水曜日

民間人が狙われた本土への大空襲


時は第二次世界大戦、最末期。それは終戦の年(1945)である。

日本軍には勝ち目がないどころか、戦闘余力も怪しくなりつつある中、アメリカ軍ばかりが元気一杯で、日本本土に対する「空襲」を盛んに繰り返していた。

日本国内の主要都市は言わずもがな、地方都市でさえ、空爆を受けなかった都市を数える方が早いほどに、ありとあらゆる都市に焼夷弾の雨が降り注いでいた。