2012年9月15日土曜日

「食べない」という奇跡。難病の森さんと甲田先生。


人は「食べなければ」生きられない。

しかし、「食べないから」生きられた、という人もいた。

それは、森美智代さんという、ある難病に苦しめられた女性だった。


2012年9月8日土曜日

「空飛ぶ絨毯」の夢。「ものづくり」が生み出すものとは…。


「もし、『空飛ぶ絨毯(じゅうたん)』があれば…、もっともっと多くの命を助けられたのに…」

空飛ぶ絨毯? 何かの冗談か、もしくは聞き間違いか? いや、そのどちらでもない。「空飛ぶ絨毯」と言った久保田憲司氏は「大真面目」だ。本気になって、空飛ぶ絨毯をつくろうとしているのだ。3.11の大震災の時、本気でそう思ったのだ。



天下未曾有の大災害の中、多くの人々が瓦礫の下敷きになっていた。その苦しむ人々を助けようと、懸命に探索するヘリコプター。しかし悲しいかな、ヘリコプターでは近くまで行くことができない。

「あぁ、こんな時に、地面から1~2mの高さをスーッと飛んで、どこにでも垂直に離着陸できる乗り物があれば…」

その乗り物こそが、久保田氏の言う「空飛ぶ絨毯」である。


2012年9月6日木曜日

争い、そして和する。「角館」に残された古き日本の絶妙な間合い。


夜の祭はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。

若者たちの表情に緊張が走ったのは、通りの向こうに「隣町の曳山(ひきやま)」の姿を確認した時だった。


ここは秋田県・角館(かくのだて)。江戸の昔に栄えた城下町であった角館には、今の世にも古くからの武家屋敷などが数多く残る。そうした武家の気風が残るのか、この祭りのクライマックスは少々荒々しい。


岸良裕司と稲盛和夫。強く優しき巨人たち。


◎100の宴会芸をもつ男


その学生の特技は「宴会芸」であった。一年生を3回やって、6年間も大学にいたという彼は、毎日昼遅くに起きだして、皆と集まり飲みにく。そんな生活の賜物が、彼の宴会芸であったのだ。

この宴会芸、思わぬところで役に立つ。彼が入社した「京セラ」において、「100の宴会芸をもつ男」として、部長に気に入られ、その部長の部署、海外営業部へと引っ張られていくことになったのだ。

ところが、その宴会男にとって、この話は少しもありがたいものではなかった。なぜなら、外大を出たはずの彼は、英語がてんでダメ。同期は7人いたというが、彼以外は皆、当然のように英語がペラペラであった。

「毎日が苦痛でしかなかった」。そう彼は振り返る。


2012年9月4日火曜日

「非武の島」、沖縄。グアムとの数奇な共通点。


およそ200年前、アジアの国々を巡っていたイギリス艦長は、初めて沖縄(当時・琉球)の人々を目にして驚いたという。

「武器を持っていない…」



その驚きをナポレオンに伝えると、戦闘に明け暮れていたナポレオンはもっと驚いた。

「武器なくして彼らはどうやって戦うのだ?」

ナポレオンの抱いた当然の問いに対して、艦長はこう答えた。「彼らは戦争をしたことがないのだそうです。武器を持たずに、平和を保っているのです」

「なにーっ! 戦争がないだとーーーっ!」。ナポレオンは叫んだ。「この世に戦争を知らない人々がいるなどありえない!」と言わんばかりに。


2012年9月3日月曜日

猛将・平将門を射抜いた神鏑(しんてき)とは? 人の心を惑わす「春の風」。


「春の風」が歴史を変えるなどということは、あり得るのであろうか。

一時、絶大な武力を誇った「平将門(たいらのまさかど)」は、いずくからともなく飛んできた「一本の矢」に倒れた。

その矢が乗ってきた風こそが、春の風だと言うのだが…。




将門のコメカミを射ぬいたという矢は、「将門記」によれば「神鏑(しんてき)」と表現されている。

将門は「目に見えない神鏑(しんてき)」に当たり、「地に滅んだ」とされ、それは「天罰」だとも書かれている。

天が起こした一陣の風、それは春の訪れを告げるという「春一番」ではなかったのか、ということだ。その風が吹くや、「馬は風飛のような歩みを忘れ、人は李老のような戦術を失ってしまった」のである。


「常に不満足であれ」。世界最高峰のパン職人


飛騨の田舎に、「不機嫌なパン職人」がいる。

眉間にシワを寄せ続けるその顔は、怒っているかのようにも見える。



彼は「不満」なのである。

何に不満なのかと言えば、自分の作った「パンの出来」に不満なのである。




彼のパンづくりの技術は、それほどに拙(つたな)いのか?

いやいや、そんなことはあるはずがない。

なぜなら、彼は「世界」でも認められた一流のパン職人なのだ。



彼の名は「成瀬正(51)」。

2005年の世界大会「クープ・デュ・モンド」で日本代表に選ばれ、団体で「世界3位」という輝かしい成績を収めた。

彼はその時のチームリーダーであった。

※クープ・デュ・モンド(Coupe Du Monde)とは、パン職人のワールドカップのようなものであり、3年に一度、フランス(リヨン)で開催される。


太古の香りを残す「尾瀬」。変わらぬことの大切さ


夏が来れば思い出す。「尾瀬」。

その早朝に見られた尾瀬の虹は、なぜか「白かった」。



◎白い虹


真夏とはいえ、10℃にまで冷え込んだその朝、朝日が射しはじめると、尾瀬ヶ原を覆っていた紅の雲海は静かに消え始めた。そして、空が少しずつ明るくなってくる、まさにその時、その「白い虹」は姿を現した。

大地と天空をつなぐ「白いアーチ」。

その神秘的な姿は、ほんの数分もすると、ふたたび尾瀬ヶ原の湿原に帰っていった。まるで「夏の幻」のように…。


2012年9月1日土曜日

金メダルへの想い。なでしこジャパン


思い返せば、去年の女子サッカー、ワールドカップ。なでしこジャパンは、まさかまさかの勝ちを重ねながら、決勝では世界最強のアメリカまでをも打ち負かしてしまった。

「なでしこジャパン、世界一!!!」

この一報に、どれほど日本列島が沸いたことか。この勝利には世界も惜しみない賛辞を送った。FIFA(国際サッカー協会)は、「日本は世界の国が目指すぺきサッカーのスタンダードをつくった」と、”なでしこジャパン”の華麗なる「パス・サッカー」を激賞した。



あれから一年、今回のロンドン・オリンピックでは、「追われる立場」となった”なでしこジャパン”。王者としての宿命からか、世界各国の強豪チームから徹底的に研究され、その戦いは予想以上に厳しいものとなっていった…。

「各国からマークされ、大きなプレッシャーを背負う。それがワールドカップで優勝した日本の宿命なのです(アメリカ・ワンバック選手)」


最期に笑顔を…。悲しい過去にぬくもりを与える「おもかげ復元師」


笹原留似子さん

彼女は特殊な技能をもった女性。その技術とは、故人の痛んだ遺体を、丁寧に復元する技術。彼女は日本でも数少ない「復元納棺師」である。

傷だらけの顔をきれいに洗い、傷口や陥没した部分を脱脂綿で塞ぎ、さらに、特殊なファンデーションなどを使って、生前の姿に復元してゆく…。



◎会わせてあげたい…


その日、笹原さんが訪れていたのは、妻を亡くした飛田啓章さん(36)のお宅。妻・佳子(けいこ)さんは、東日本大震災の大津波により、帰らぬ人となっていた…。

佳子さんが大津波に遭ってしまったのは、幼い子供たちを心配して迎えに行ったその途上。車ごと大波にされわれてしまったのだという…。それでも不幸中の幸いは、子供たちが皆無事だったということ…。

そして、遺体が見つかったのは、その一ヶ月後。ようやく見つかった佳子さんは、車の中で変わり果てた姿となってしまっていた…。



「最期に、子供たちを母親に会わせてあげたい」

夫の啓章さんは、そう強く想ったものの、被災してしまった姿では、とても子供たちに会わせられない。そんな時であった、啓章さんが復元納棺師・笹原さんの存在を知ったのは。