笹原留似子さん
彼女は特殊な技能をもった女性。その技術とは、故人の痛んだ遺体を、丁寧に復元する技術。彼女は日本でも数少ない「復元納棺師」である。
傷だらけの顔をきれいに洗い、傷口や陥没した部分を脱脂綿で塞ぎ、さらに、特殊なファンデーションなどを使って、生前の姿に復元してゆく…。
◎会わせてあげたい…
その日、笹原さんが訪れていたのは、妻を亡くした飛田啓章さん(36)のお宅。妻・佳子(けいこ)さんは、東日本大震災の大津波により、帰らぬ人となっていた…。
佳子さんが大津波に遭ってしまったのは、幼い子供たちを心配して迎えに行ったその途上。車ごと大波にされわれてしまったのだという…。それでも不幸中の幸いは、子供たちが皆無事だったということ…。
そして、遺体が見つかったのは、その一ヶ月後。ようやく見つかった佳子さんは、車の中で変わり果てた姿となってしまっていた…。
「最期に、子供たちを母親に会わせてあげたい」
夫の啓章さんは、そう強く想ったものの、被災してしまった姿では、とても子供たちに会わせられない。そんな時であった、啓章さんが復元納棺師・笹原さんの存在を知ったのは。
◎笑いじわ
「おそらく、2時間以上かかると思いますが、大丈夫ですか」
そう言ってから、笹原さんによる復元は始まった。まずは、硬直している顔を念入りにマッサージして、元の輪郭に戻していく。そして、生前の皮膚の色に近づけるための化粧。体温を失った肌に化粧をなじませるために、手の甲でファンデーションを温めながら作業を続けていく。
すると、佳子さんの顔には少しずつ、笑顔が戻ってくる。
「こうやって、『笑いじわ』が戻ってくるのが好きなんです。本人にしかない笑いじわって、その人の歴史なんです。その人の生きた歴史…」
深夜0時。復元を始めてから3時間。ようやく佳子さんに笑顔が戻ってきた。
一息ついた笹原さんは、笑顔になった佳子さんにそっと声をかける。「会えるといいね。子供たちと」
◎子供たち
笑顔の妻・佳子さんに対面した夫・啓章さん。
「あぁ、佳子だ…。佳子が戻ってきた……。これでやっと、子供たちに会わせられます」
啓章さんに残された子供は4人。
一番チビの駿丞(しゅんすけ)君は、まだ1才。何が何だか分からずにキャッキャするばかり。次女の涼風(すずか)ちゃんは、もうずっと泣きっぱなし。長女の萌子ちゃんは、黙って脇で見ていたあとにボソリ、「あ~ぁ、帰ってくると思ってたのになぁ…」。
長男の龍之介くんは、全く近寄ろうともしなかった。無理に手をひっぱって近づけようとすると、突然「ワッ」と泣き出した。それまでにたまっていたものが爆発したかのように…。そして、炉に入るまで、ずっと…。
◎無力さ
復元師・笹原さんが、被災地を回ってボランティアを始めるキッカケとなったのは、遺体安置所で出会ったある女の子であった。
「シーツにくるまれた女の子は3才くらいで、顔が陥没し、無数の傷が残っていました」
その痛ましい姿を前にした笹原さんは、「戻してあげたい」と強く想った。「きれいに戻してあげれば、必死で探し回っているだろうお父さんやお母さんに見つけてもらえるかもしれない」。しかし、遺族の意志が確認できず、結局、その想いはかなわなかった。
「無力さを感じました。自分が何もしてあげられない無力さを…」
それ以来、被災地を回り続けて笹原さんの復元した人々は、300人以上。どんなに忙しくとも、子供の依頼は断ったことはなく、これまで100人あまりの子供たちを復元してきたという。
それは、あの時感じた「無力さ」が、彼女をそうさせずにはいられなかったのだという…。
◎スケッチブック
震災から4ヶ月がたった頃、多忙だった笹原さんの手も空きはじめる。
彼女が「絵」を描き始めたのはその頃で、復元してきた故人を偲びながら、丁寧に丁寧に「最期の笑顔」をスケッチブックに描いていった。その温かいスケッチブックには、とても穏やかな笑みを浮かべた顔がたくさん並んでいった。
「ご本人の一番いい笑顔をずっと思い出してほしいのです」
そして、その笑顔の脇には、別れの光景と笹原さんの想いがつづられている。
◎それぞれの光景
「やっと泣けた…」。生後10日目の赤ちゃんを亡くした父親は、言葉が話せなくなっていた。笹原さんが復元してくれたお陰で、彼はようやく泣くことができたのだった…。
..........
「探して、探して、探して、やっと見つけたんです」。幼稚園の女の子を亡くしたお父さんは、ずっとずっと、その傍らに居て、涙を流し続けていた。「守ってやれなかった…」。
(笹沼さん)「でもね、お父さん。こうやって、ずっとそばに居てくれているじゃないですか。こんなに涙を流してくれているじゃないですか」
..........
「こんなことになるのなら、あの朝、母さんとケンカなんかするんじゃなかった…」と高校生の男の子。
(笹沼さん)「お母さんだもん。あなたの気持ちは、お母さんがきっと全部分かってくれているはずだよ」
..........
「パパ、さよなら…」。父を亡くした幼稚園の女の子。「『さよなら』は寂しすぎる」とママ、「『またね』にしよ」。
「パパ、またね…」。その言葉に、みんな泣いた……。
◎深い時間
いくつもの別れが繰り返されてきた遺体安置所。
そこには悲しみが満ちていたかもしれないが、笹原さんは「悲しみだけではない」と感じたという。
「そこには、ぬくもりみたいなものがありました」
笹原さんがそう感じた通り、彼女の描くスケッチブックには、悲しさ以上に温かさが描かれている。
「とてもとても深い時間だったんです」
◎町の英雄
震災当時、妊娠3ヶ月だったという坂本久美子さんは、津波によって夫・智章さんを亡くしている。消防団員だった夫の智章さんは、港の水門を閉めに行ったところを津波に襲われたのだった。
智章さんの突然の死。その遺体には、苦しみの表情が浮かんでいた…。久美子さんはただただ泣き崩れるばかり…。
悲嘆にくれる久美子さんに、光をくれたのは復元師・笹原さん。笹原さんが復元してくれた夫の表情からは、苦しみがきれいに消えていた…。
「本当に柔らかい頬で、温かくて…。やっと、痛みから解放されたかな、寒さから解放されたかな。やっと、ゆっくり休めるかな」
一周忌を終えて、久美子さんが思い出すのは、その「穏やかな優しい表情」。
町の英雄、消防団。世界一カッコイイ。
◎前向きに
ふたたび、飛田家。
妻を亡くした啓章さんは、男手一つで4人の子供たちを育てていた。
一番チビの駿丞(しゅんすけ)君は離乳食を終え、お父さんの作るごはんを食べられるようになっていた。その面倒を見るのは、あの時大泣きした長男の龍之介くん。
長女・萌子ちゃんと次女・涼風(すずか)ちゃんは、せっせと家事のお手伝い。
「笹沼さんが最期に妻に笑顔を戻してくれたおかげで、子供たちみんなが母親に会うことができました。たぶんその時に、たまっていたものが全部出し切れて、結構みんなスッキリしたんじゃないかと思います」
「今は、みんな前向きに生きています」
◎おもかげ復元師
震災で、突然命を奪われた人々。
そして、変わり果てた遺体を前に、呆然としていた遺族たち。
笹原さんが取り戻してくれた「最期の笑顔」は、呆然としていた人々の心に再び命を吹き込んでくれた。
「ありがとう」
そんな敬意を込めて、人は笹原さんを「おもかげ復元師」と呼ぶ。
スケッチに描かれたいくつもの笑顔は、これからを生きる人々の希望である。
悲しさの中に見たぬくもり…。
願わくは、少しでも早く、被災地が温かくならんことを…。
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出典・参考:
NHKスペシャル 「最期の笑顔」~納棺師が描いた東日本大震災
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