2012年6月26日火曜日

中国山地で舞われ続ける「神楽」


数々の「神話」の舞台となっている「中国山地」では、数千もの舞い(神楽)が今の時代にも舞われ続けているという。

舞い続ける人々は、その舞いがどのような意味を持つのかも忘れてしまっていることが多いというが、それでも神楽の舞いは脈々と続けられているのである。



そんな中、鳥取県西部一帯に伝わる「大元神楽(おおもとかぐら)」の目的は明瞭である。

大元神楽の目的は、「神の声」を聞くことにある。

大元信仰の神である「大元さま」は、普段は高い山や深い谷、大きな樹などに宿っているとされているが、神楽が舞われる時にだけ、人に降りて来てくれるのだそうな。





神の降りてくる人物は「託太夫(たくだゆう)」と呼ばれ、里から数名が選ばれる。

彼ら託太夫たちは選ばれた時から精進潔斎をして、その日のために備えなければならない。




夜に始まる大山神楽であるが、神の宣託があるのは祭りが最高潮に達する明け方5時頃、「託舞(たくまい)」と呼ばれる舞いに神は誘われる。

それまでは奥の神殿(こうどの)に安置されていた藁蛇(わらへび)が、手前の舞殿(まいどの)に降ろされ、託太夫はその舞蛇に揉まれに揉まれる。

託太夫は神楽人たちに激しく小突かれながら神歌を歌い、しきりに舞殿を舞い回る。

「今年のこの月、この日のこの時、神楽の斎場(ゆにわ)で神遊びしよう」



こうした激しい動きの中で、託太夫は身体の内外から激しい刺激を受けて感極まり、神の声を発するのだという。

神懸かった託太夫を皆が取り押さえ、藁蛇に寄りかからせて、その宣託(お告げ)をありがたく拝聴する。

※神に乗り移られた託太夫は、その時の様子を覚えていないことが多いとのこと。




「神楽(かぐら)」というのは、神様に奉納するための歌舞のことであるが、その語源は「神座(かみくら)」であり、「神の宿るところ」を意味するのだという。

神座(かみくら)に降りた神様は、大元神楽で見られるように人の身体を通して「神の声」を伝えることもあれば、逆に人間の側からお願いをすることもあるようだ。



こうした神と人間の交流の場である神楽の起源は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた時に、アメノウズメが神懸かりして舞ったという神話にあるらしい。

そして、そのアメノウズメの子孫が「鎮魂(たましずめ)」「魂振り(たまふり)」の儀式に携わるようになったのだという。

つまり、神楽の元々の形は「鎮魂」「魂振り」だということだ。



「鎮魂(たましずめ)」というのは、身体から離れようとする魂を、その身体に戻し鎮めることであり、その逆の「魂振り(たまふり)」というのは、魂を揺さぶって魂の活力を増大させることである。

活発すぎる魂は鎮めなければならず(鎮魂)、逆におとなしすぎる魂は揺さぶることで活性化させなければならない(魂振り)。

「鎮魂(静)」と「魂振り(動)」の間のほどよいバランスこそが、魂にとっては好ましいバランスだということなのだろう。

※「鎮魂」という言葉は死者の魂を鎮めるという意味でも使われるが、ここでいう鎮魂とは「生きている者」の魂を鎮めるという意味である。




そう言えば、神様にも「和やかなる神」と「荒ぶる神」がいる。

和やかなる神は魂を鎮め、荒ぶる神は魂を揺さぶる。



大元神楽において、託太夫が揉まれに揉まれるのは、その魂を揺さぶるためなのでもあろう。

魂がおとなしすぎては、神の声は漏れ出てこない。盛んに囃し立てることで、その声は人の身体の外へと飛び出すのだ。

魂を揺さぶるために託太夫は舞う。人が舞う姿を描いたという「舞」という文字は、「無」にも通じる。それは、舞うことで自分が無くなるということを意味する。

※お祭りのお神輿なども、上下左右に荒々しく揺さぶることで、その御神体の霊威は一層高まるとされている。



「魂振り(たまふり)」の「振」という字の語源は、「貝」を意味するとのことである(正確には「辰」の語源)。

その昔、その「貝」は畑を耕すための道具とされていたとのことで、静まっている大地をその「貝」を使って掘り起こすことにより、大地を活性化させたというのである(のちのクワのような役割)。

すなわち、「振る」という動作は物事の力を増大させるために行われる行為だったのである。



ここで思いつくのは、今年が「辰(たつ)の年」だということだ。

はたして、「辰」と「魂振り」には何かの関連が見出せるのであろうか?



十二支の中でも、「辰年」ほど勢いのある年はないとも言われている。

それは龍にも通じるように、自然の力が最も高まる時なのだ。

微力な人間たちはその強烈なパワーに振り回され、感覚が麻痺してしまうほどなのだという。



大いに揺さぶられた人間たちはどうなるか?

驚き震え、パニックが思考能力を低下させ、その思考が統一される方向に向かう。その様は、大地震にあって正気を失った人々が、皆同じ方向に逃げて行く様を連想させる。



その向かう方向が「陽」であれば世界の様相は好転し、逆に「陰」であれば暗転する。

良くも悪くも人智及ばぬほどの力を持つのが「辰年」とのことであり、その向いている方向へと力が強められるのである。

「和やかなる神」の元ではあらゆる方向を向ける人間も、「荒ぶる神」の前ではそうもいかない。それゆえ、選択肢は自ずと狭められてゆく。



さらに今年は十干で「壬」の年である。

干支(えと)というのは十干と十二支の組み合わせであり、それによれば今年は「壬辰(じんしん・みずのえたつ)」の年ということになる。

※10ある十干と、12ある十二支は互いに独立して動くものの、その組み合わせにより60通り(10と12の最大公倍数)の特性を持つことになる。つまり、そのサイクルは60年単位となる。



「壬」は十干の9番目、すなわち終わりの一つ手前である。

十干は10個で完結するために、9番目の「壬」ともなるとその流れは確定しており、むしろそれまでの荷物が増えすぎて、身動きがとれない状態でもある。

※「壬」という文字は、糸をいっぱいにまで巻いて「膨らみきった糸巻き」の姿を表している。



動きが取りづらいことから「壬」は「静」に通じる。かたや十二支の「辰」は究極の「動」である。

ということは、その二つが組み合わさった「壬辰」という年は、正反対の働きをもつ「静と動」が奇遇にも同居している不安定な年なのである。



さらに、60年かけて一巡する十干十二支(干支)は、「甲子」で始まり「壬辰」でおおよその中間点を迎える(正確には29番目で、中間点の一歩手前)。

「静と動」を内包する「壬辰」は、60年のピークを迎えんとしているということだ。そして、そのピークは今後を決める分水嶺ともなる。



「壬」と「辰」の両方の文字に「女偏」をつければ「妊娠(にんしん)」となることから、「壬辰」には今まで培ってきたものが今にも生まれ出んとするエネルギーが内包されていることにもなる。

新たに生まれ出るものはすでに確定しているのだから、壬辰はただそれを待つ年でもある(それが実際に生まれ出るのは2年後の「甲午(2014)」ということになる)。



ただ待つとはいえ、動きの激しい「辰」が入っていることから、「壬辰」の年は極めて微妙な選択をも迫られる。

荒ぶる神により揺さぶられる「辰」の年には、それほど多くの選択肢は残されていないものの、その微妙な選択により、のちの陰陽が大きく影響を受けることになるのである。



揺さぶられ動揺する中で、希望を持ち続けられるのであれば、それは後々の吉となるであろうし、その揺れの中で翻弄されるばかりであれば、後々の凶となるかもしれない。

大山神楽において神の「宣託(せんたく)」を聞かんとするのは、その「選択」を誤らぬためでもあるのだろう。



ちなみに前回の「壬辰」の年は1952年。

この年の日本は、サンフランシスコ講和条約により第二次世界大戦の痛手から立ち上がり、世界とともに歩むという選択をした。

その結果、その後の日本は世界を驚かせんばかりの未曾有の繁栄を謳歌することになる。



また、前々回の壬辰は1892年。

この年に発足した第二次伊藤博文内閣は、2年後に中国(清)と戦端を開き、引き続きロシア、そして二度の世界大戦へと歩を進めていく。

この年の選択は後々の凶となってしまったようだ。60年サイクルの後半戦が始まる壬辰の年の2年後(甲午)が開戦の年となってしまっている。




さて、昨年の日本は実際に大きく揺さぶられた。そのため、「辛卯」の年であった2011年は、日本にとって文字通り「辛い」年となってしまった。

2004年から始まった十干は残すところあと2年。10年で完結する十干はあと2年でサイクルを全うする。そしてその暁には、どんな巨木といえども一陣の風で根っこから倒れると言われている。

倒れることは決して悪いことではない。次の十干(10年)の種は、辛い「辛の年」に幸いにも出来上がっているはずである。



「壬」である2012年は、その種を大切に熟成させる年でもある(「辰」という激しさの中でも)。

それは、激しい嵐の中、お腹の赤ん坊を必死で守る慈母のようでもあろう。



60年サイクルの分水嶺が迫る今、我々の手元にはすでに新しい時代の種が渡されているはずである。

大いに揺さぶられ続ける近年、ふるいにかけられても残った種はいかなる種か?

選ぶ種が少なくなっているとしても、そこには良い種が残されていると信じたい。



太古の日本人は、なぜ舞ったのか?

そして、なぜ今なお舞い続けているのだろうか。



千年以上も舞われ続けている舞いがあるのならば、その舞いは千年の時を生き抜いてきたということでもあろう。

その選択を千年以上も間違えずに…。







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出典:
新日本風土記 シリーズ山の祈り 神の子の舞 中国山地
干支歳時記



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