フクシマの原発事故は、世界への「問い」となった。
「原子力発電は、是か?非か?」
あれから一年。当初は「感情的」であった反原発の気運は、世界中でスッカリ落ち着きを見せている。
フクシマ原発事故が起きる「前」、世界で建設中の原発は62基(計画中156基)。そして、事故から一年経った現在、世界で建設中の原発は60基(計画中163基)。
フクシマ前後で、その大勢に大きな変化がないことは明らかである。
「福島の事故後に取り消された発注は一件もない」と語るのは、原子力企業ロスアトム(ロシア)。むしろ、同社の受注は一年前の11基から21基へと倍増している(WSJ)。
「数字を計算している人は、原発ナシではやっていけないと気づいている」と語るのは、中国の原発研究家。
世界最大数の原子炉を抱えるアメリカ(全104基)は、「原発推進」の決意を新たにした。
34年ぶりに原子炉の新規建設にGOサインが出されたのである(ジョージア州)。
日本国内では、54基ある原発のそのほとんどが稼働を停止しているが、日本の原子炉製造3社(東芝、日立、三菱)は、福島以前に計画していた原発推進計画に変更を加えていない。
東芝は25基(2015年まで)、日立は38基(2030年まで)、三菱は年間2基(2025年まで)と、各社ともに積極的な販売目標を掲げている。
現在、「目標達成にわずかな遅れが出ているくらい」だそうである。その目標達成に向けては、日本政府も後押しも得られている。
日本の国会では新たな原子力協定が承認され、ヨルダンとベトナムへの原子炉輸出が可能になった(昨年12月)。
その他、インドネシア、マレーシア、モンゴル、トルコとも同様の協定が締結されている。
※こうした協定がある国々の進出においては、政府系金融機関からの支援や政府保証付きの銀行融資を受けることが可能となる。
日本のこうした動きに非を鳴らす人々も少なくない。
「原子炉をベトナムやタイ、インドネシアといった発展途上国へ輸出することは、非論理的だ。日本のように高度な技術を持つ国が防げなかった原発事故を、途上国の彼らはどうやって防ぐというのか?」
台湾のイビン・チェン原子力規制局長の鼻息は荒い。
日本の製造業者や電力会社の人々は、こう答える。
「原子炉の運転・保守に関しては、発展途上国のエンジニアらを訓練しており、すでに数千人が訓練を終了している」
ノドモト過ぎれば何とやら。
世界中で高まった反原発の気運は、急速に沈静化しつつある。
それでも、頑強に抵抗を続ける国々もある。
その代表格は「スイス」であろう。
今月7日、同国では反原発団体などの訴えを認め、ミューレベルク原発の稼働を2013年までに停止するよう命じる判決を下した(判決を不服とする電力会社は、上告するとみられている)。
福島原発事故後の昨年6月、スイスの地元メディアはミューレベルク原発の構造物に「上から下まで貫通するヒビ割れ」を報道した。
なんと、このヒビ割れは2009年に見つかっていながら公表されていなかった。「ヒビ割れがあっても安全基準は満たしている」とのことからだ。
ミューレベル原発は、スイスの首都ベルンから20kmと離れていない。つまり、この原発は首都の喉元に匕首(あいくち)を突きつけているのである。
さらに、スイスという国自体、九州地方ほどの面積しかないために、もし事あらば国家存亡の危機にも陥りかねない。
その点でも、スイス国民の危機意識は、否が応にも高いのだ。
スイスのミューレベルク原発は、ほとんどの日本人にとって見たことも聞いたこともない原発だろうが、じつは福島原発とは「兄弟」の間柄。
双方ともにアメリカから輸入した「マークⅠ(ワン)」という原子炉なのである。その着工も1967年という同じ年に行われている(稼働したのは福島第一が一年早い)。
アメリカのGE社が開発した「マークⅠ」は当時としては画期的であった。何よりも、そのサイズがコンパクト(小型)であり、建造コストが格段に抑えられたのだ。
大ヒットとなったこのタイプは、世界中に何十と造られることとなり、その内の一つが日本(福島第一)、そしてスイス(ミューレベルク)に建てられたのである。
「GEが日本に行ったのと同じ頃、スイスにも売り込みにやって来た」と、ブルーノ・ペロー氏(スイス原子力会議副議長)は当時の様子を語り始めた。
「その時GEは、『これで十分安全だ』と力説した」
このGEの「安全」という言葉を、日本は何の疑いもなく信じ切った。ところが、スイスの科学者や技術者たちは、誰もその言葉を信じなかった。
というのは、原子炉を守る「格納容器」があまりにも小さかったからだ。建造コストを抑えるために、マークⅠ(ワン)の格納容器は信じられないほど小さかったのだ。
※原子炉の格納容器は、万が一の過酷事故(Severe Accident)に備えて、巨大に造るのが常であった。
スイスという小国は、ヨーロッパ大陸の戦いの嵐の中を生き抜いてきた歴史を持つだけに、とりわけ用心深い側面を持つ。一方、当時の日本人には外来モノを必要以上に有難がる性向があった。
用心深いスイス人は、小さなマークⅠの格納容器をスッポリと上から覆うほど巨大で頑強な建屋を自分たちで建造した。
格納容器が小さいということは、事故の際の圧力に耐え兼ねて「爆発」する危険が高い。そのリスクをカバーするために、スイスのミューレベルク原発の建屋はその圧力に耐えられるほど強固に造られたのである。
かたや、同じ型の原子炉を何の疑いもなく受け入れた福島第一原発。
この建屋が水素爆発で吹き飛んだ映像は、いまだ記憶に新しい。「まるで靴箱このように、あっけなく壊れてしまった」とペロー氏(前出)は首を振る。
もし、スイスのミューレベルク原発くらいに建屋が頑強であったとしたら…、はたして、あの爆発は建屋を吹き飛ばしたであろうか?
福島の事故が起きる前から、GEのマークⅠ原子炉の格納容器の小ささは世界中で議論の的となっていた。
その圧力に耐え切れず、GEは苦肉の策を打ち出す。それば「ベント」設置の勧告である。
※ベントとは、格納容器内部の圧力が高まり過ぎた時に、内部の空気を外に逃がす装置。空気穴。
このベント設置に関しても、日本とスイスは両極端であった。
用心深いスイス人は、電源を失ってもベント装置が作動する仕組みを開発した。さらに、外に逃がす空気の放射性物質を除去するための工夫も忘れなかった。
その空気を一度薬品の溶けた水中を通すことにより、放射性物質を1000分の1にまで減らす装置を併設したのである。
さて、福島第一は?
GEからベント装置を付けろと言われて付けたはいいが、それは「電動のみ」であったため、今回の事故のように全電源を喪失した際には、何の役にも立たなかった。
何とか手動でベントは開放されたものの、その作業に丸一日を費やしてしまい、ようやく開放した数時間後には、回避すべきはずだった水素爆発が無情にも起こってしまった。
ベントの決断が遅れたのには、放射性物質を空気中にバラ撒くことへの抵抗もあった。
スイスほどに放射性物質を除去する設備がなかったために、ベントにより放出される空気には、たんまりと放射性物質が含まれていたのである。
こう言うのは「後の祭り」であろうが、「水素爆発は、起きるはずのない爆発だった」とペロー氏は語る。「安全対策があれば」という前提が付きさえすれば…。
ペロー氏は続ける。「他人まかせ、メーカーまかせではダメなのだ。安全対策は自分で決断するものなのだ」
ペロー氏も「後の祭り」となることを恐れたのであろう。お節介にも、幾度となく東京電力にアドバイスをしたのだという。
「スイスでは安全設備を次々追加している。そんなに費用のかかるものでもないから、日本でも導入したら良いのではないか」と。
東京電力側は、ジャパニーズ・スマイルを浮かべたまま、こう返答したと言う。
「私たちには必要ありません。何よりも、GEや規制当局からは何も指示が出ていませんから。」
日本では、全交流電源喪失に対して「考慮する必要はない」と正式に通達されていたのである。
1980年代においてすら、全交流電源喪失は安全対策の「基本中の基本」と世界の原発関係者は考えていた。
そのため、電源を失っても原子炉を冷却できる設備は、各国で整えられている。緊急用の電源も「予備の予備の予備」まで用意し、防水処理を行っていないことなどは考えられないことでもあった。
世界の常識と日本の常識とは、大きな隔たりがあったようだ。
福島第一の冷却設備は電源なしでは不可能であり、予備の電源には防水の備えすらなされていなかった。
それは、のちに世界が驚くほどの「楽観ぶり」であった。神話と現実は明らかに違ったのである。
アメリカNRC(原子力規制委員会)のヤッコ委員長は強く主張する。
「業界の自主努力には限界がある」
なぜなら、彼らは営利企業であり、安全対策というのは単なるコスト増でしかない。
原発事故のリスクが100万分の1以下と見積もられていては、そこにコストをかける積極的な理由が見出せないのである。「原発を一日でも止めれば、莫大な損失になる」
※ヤッコ委員長は、34年ぶりというアメリカの新規原発建設に、ただ一人「反対票」を投じた人物だ。
原発の是非を巡って、世界はマダラ模様であるものの、その雛勢は「容認」へと大きく傾きつつある。
かつて、チェルノブイリで原発事故が起きた時(1986)も、反原発の気運は高まった。そして、沈静化していった。
チェルノブイリの事故を受けて、スイスでは事実上原発から離脱することが閣議決定された。
しかし、2000年の法改正で原発への道が残され、2007年には原発の新設を決定するまでに至る。
そこに、福島の事故が起こり、またスイスは脱原発を決定したのである。それでも、スイスの法律には完全に原発を廃止するは、いまだない。
スイスの電力は、その4割を原子力に依存し、残りの6割は水力でまかなわれている。
山岳国であり、厳しい寒さを過ごさなければならないスイスでは、暖房のために冬場の電力消費が大きくなる。
ところが、その肝心な冬場に水が凍ってしまうために、水力による発電量は減少してしまう。その不足分はフランスの原発から補うより他に道はなく、ピーク時の原発依存率は5割にも上る。
原発事故が起こるたびに、反原発の可能性を模索するも、結局は「揺り戻し」のサイクルにしかならないのは、原子力なしに世界が成り立たなくなっているためでもある。
結局、明日の理想よりも、今の現実が重いのである。
とはいえ、誰しもが何らかの打開策の必要を感じ始めているのも事実である。
マークⅠを鵜呑みにした日本は、その苦みを十分に味わった。そして、スイスはそれを「他山の石」とした。
化石燃料か?原子力か?
その消極的な2択の世界はしばらく続くのであろう。
しかし、その底流では何かが蠢(うごめ)き出してもいるのである。
それは新たな怪物なのだろうか?
おそらく、人々の心底が変わらない限り、どんな理想を掲げても、それは同じモノを生み出す繰り返しにしかならないのだろう。
世界が変わる時、いったい何がはじめに変わるのか?
歴史を変えてきた想いは、一体どこから湧いて出たのであったのか?
出典:ドキュメンタリーWAVE
「世界から見た福島原発事故」
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